映画「明日の記憶」のコーヒーカップ

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ガン随筆

渡辺謙主演の「明日の記憶」という映画がある。好きな映画の一つだ。

映画は湯呑みの画像から始まる。
広告代理店に勤めるバリバリのサラリーマン、49歳にして痴呆症を発症。逃れられぬ運命の中で必死にもがく。懸命に支える妻の名は枝実子。しかし病気の進行は止まらない。

娘の結婚式では親族代表の原稿をトイレに忘れてピンチとなるが、逆に素晴らしいスピーチが心に刺さる。

ボケ防止で始めた焼き物。コーヒーカップに妻の名前を彫る。それを見つめながら「これだけは忘れたくないんです」自分に言い聞かせるように呟いていた。

まだ2人が結婚する前の若い頃に焼き物体験で訪れた焼き物小屋を混濁した意識の中再訪する。
焼き物の師匠と、焚き火で焼いたジャガイモや玉ねぎを齧りながら地酒を酌み交わす夢か現実か分からない一夜を過ごす。

翌朝目覚めると1人きり、熾火の中から妻の名前を書いたコーヒーカップを探し出し愛おしそうに抱きしめる。コーヒーカップの取手のところは折れていた。

帰り道、心配して探しに来た妻と道ですれ違うも、もう誰だか分からない。
最後のシーンは施設で静かに暮らす姿。目の前には取手の折れたコーヒーカップがある。冒頭のシーンは湯呑みではなく取手の折れたコーヒーカップだったのだ。
まるで輪廻転生を表現しているかのようだ。

私は痴呆よりガンの方が危険な状態だが、恐らく妻を残して彼女に寂しい思いをさせてしまうであろう自分の無力さが、この映画と通じる部分なのではないかと思う。

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