昨日朝早くから大学病院へ行ってきた。
Gunオヤジが発達障害かどうかの診断を受けにいった。
発達障害という言葉は適切でないと思っている。
何か人間の不良品のように聞こえる。
自慢になるがGunオヤジ昔から活動的で大胆な発想が浮かび行動力があってリーダーも多く務めた。一方で落ち着きがなく教科書やノートは落書きだらけで物事を忘れっぽかった。
興味のあることは徹底的に追求した。一方興味のないことは後回しにしたまま手付かずとなった。
人も物も周囲は常に賑やかだった、一方片付けや整理は苦手だった。
長所は裏返せば短所だ。
そして長所が強ければ強いほど、短所も強いと言える。
昔から馬鹿と天才は紙一重という言葉があるように、人は体験的にこのことを知っている。
発達障害とは思考特性や行動特性のマイノリティであり、マジョリティに最適化された社会ルールの中ではその特性がルールから逸脱していると見られる。それは時に長所と言われ、時に短所と言われる。それゆえに生きづらさを感じるのでディスオーダーとなるだけの話である。
大人になってからADHDという言葉を知り、自分はADHDではないかと疑った。何人かの医者に相談したこともある。
「そうかもしれませんが、診断されても何も変わりませんよ。大人の発達障害を正しく見極められる医者は日本には2,3人しかいませんし、Gunオヤジさんは大きな企業でこれだけ長くしっかり勤めてきたのですからいいじゃないですか」と言われてあまり考えないようにしていた。
ただ、病気や手術を経験して自分の残り時間を強く意識するようになった。
答え合わせをしてみたいと思ったのだ。
しかし発達障害は大学病院では精神科の範疇となる。
精神科の患者を差別する気はないが、精神科に通うとはなんとも壁が高いと感じたのは事実だ。
今回の問診でADHDの可能性を指摘された。次回精密検査となった。
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