恩師・中山先生

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ガン随筆

2016年、今から6年前の6月25日に小学校の恩師が亡くなった。
我々生徒の親より少し上の世代の女性の先生で、Gunオヤジは小学3,4,6年の時に担任をしてもらった。よく怒られたが、同時によく可愛がってもらった。

新しい漢字が出てくると必ず背を向けて空中で手を動かして「イチ、ニー、サン・・・」と正しい書き順を教えてくれた。例えば「飛」という字、正確な形をかける人も少ないし、正確な書き順の人はもっと少ない。でもGunオヤジは今でも正確な書き順で書ける。

小学生の時、上級生と1対多数の大喧嘩になったことがあるが「下級生に向かって大勢で秘境だ」と向こうの先生に抗議してくれた。

給食の配膳で食器を押して台から落としてしまった時に「ほらまた向こうを見ないでやるから」と怒られたこともある。これは大人になって自分がADHDではと疑った時の最初のエビデンスだ。

晩年はB型肝炎からガンを発症された。
今自分もガンになってしまった。2人に1人はガンになる時代とはいえ、ここにもご縁を感じる。
さて、中山先生の体調がすぐれずクラス会に参加できなかった年、かつての学級委員だったGunオヤジが後日みんなの写真をデジタル・フレームに入れてお持ちしたが、「このクラスはベッピンさんばっかりだったね〜」とニコニコしながら言われていた。
Gunオヤジもそれには同感だ。なんかうれしくなった。

たくさんの教師に教わったけど、恩師と呼べる人は少ない。
その最初の1人が中山先生だ。

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