Gunオヤジが少林寺拳法の門を叩いたのは中学3年、14歳の時。当時の先生は55歳だった。
歳の差40歳だったが、今年修行暦40年となり、ふと当時の先生と同い歳であることに気がついた。未だ子供のような自分を当時の先生と比較するとちょっと複雑な気持ちになる。
Gunオヤジは「幽霊会員」だった。「幽霊会員」というのは入門したにも関わらず、お金は全て先生の懐に入り、連盟本部に私の名前は登録されていない道場生。簡単に言えば詐欺に相当するが、当時はたくさんあったようだ。
おかげで昇段も10年遅れたし大会出場も叶わなかった。当時は今のようにネットでつぶやいて炎上させるなどという手法はなかったし、どうしようもなかった。
実はその方、戦後の愚連隊のあがりだ。若い頃の喧嘩で相手に大怪我を負わせて服役したこともあると言っていた。
縄張りを荒らした同業者を呼びつけ、刀を抜いて目の前の畳に刺し「これで俺を切れ」と言ったこともあるという。相手は土下座したままガタガタ震えるばかりだったという。その時の詫び状を見せてもらったこともあるが震える手で書いたことが一目瞭然だった。
車にゴルフクラブを載せていたので何気なく「ゴルフを始めたんですか」と聞いたら「いや、変なやつがいたらこれで殴るんだ」と言われて驚いた。
若い時にできた子供がその頃には巨大ヤクザの大幹部になっていた。パーティの招待状を見せてもらったこともある。紹介してやるとも言われたが、Gunオヤジはヤクザと付き合う気は無かったのでお断りした。
事務処理や金銭管理には問題があって社会人としては不適格だったものの、道場生が絡まれれば逃げずに後ろ盾になるなど男気があった。ヤクザというより昭和の侠客という感じで、そういう意味では人間として嫌いではなかった。
Gunオヤジが大学4年の時、私に「道場を継がせたい」とわざわざ我が家にご挨拶に来られ、ウチの両親を偉く驚ろかしてくれた。私自身これから社会に出るという時だったので「まずは一人前の社会人になりたい」とご辞退申し上げた。
結局道場はこの先生の義理の甥にあたる先輩指導員が継いだ。
破天荒では済まされないほど問題があったのも事実だが、Gunオヤジを認めてくれて、たくさん応援もしてくれた。
少林寺拳法の世界を去られてから連絡も取れてないが、ご存命なら95歳。
会えるものなら、もう一度会いたい。
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