球技はやらないけれど、共感できる部分がある

ホーム » 少林寺拳法 » 球技はやらないけれど、共感できる部分がある
少林寺拳法

Gunオヤジはへそ曲がりだ。皆が右と言えば、左を向きたくなるところがある。
皆が「ユーミンがいい」と言えば、敢えて聞かないへそ曲がりなのだ。

でもブレイクの時期を十分過ぎてから改めてユーミンの歌を聞いたら、自分の耳にユーミンの曲が強く残っていたことに気づいた。たとえば「晩夏」たとえば「ノーサイド」だ。

ノーサイドをじっくり聞いたのも随分後になってからのことだ。ちゃんと聞いたのは40歳を過ぎてからになる。その時、歌詞が琴線にガンガンと触れて涙が出てきた。
Gunオヤジは球技はほとんど経験がない。中学の頃、体育の先生に「お前は球技のセンスが無い」と指摘された。別に恨んではいないが自分の向き不向きを自覚するきかっけになった。そして興味は格闘技へと向かった。

少林寺拳法に入門して一生懸命修行した。少林寺拳法が好きで、道場以外でも毎日何時間も1人で練習した。本当に一生懸命修行したのだ。でも金銭問題の闇に巻き込まれてGunオヤジは少林寺拳法の大会に出たり、黒帯を取ることができない立場であることを知った。そこでオープントーナメントでやっていた実戦空手の大会に出た。
草空手なんかが流行る前のことなので、オープントーナメントといえば全日本大会しかなかった。

突く蹴ると言っても、空手と少林寺拳法はアメフトとラグビーぐらい違う武道だ。相手のルールに合わせ、相手の審判に囲まれた完全アウェーの状況。Gunオヤジは一般人の中では体格が良い方だが、全日本無差別級大会では小柄でやせっぽちだった。
でも少林寺拳法の世界で生きる芽もなく、他武道の大会で必死に自分の力を発揮するしかなかった。人と比べてどうなるものでもないがイバラの道だった。

ノーサイドの歌詞の中にある。「歓声よりも長く、興奮よりも速く、走ろうとしていた・・・」。
前の試合が終わり、自分の名前が呼ばれてマットに上がると意識が切り替わる。うるさいはずの観客の声が一切聞こえなくなり、緊張すら感じなくなる。

「何をゴールに決めて、何を犠牲にしたの」。
腕を反対側に折られたこともある。レバーに蹴りを食らって倒れぬよう必死に耐えたこともある。少林寺拳法の世界では他流試合は禁止だし、少林寺拳法で食べてはいけないという掟があって、空手の大会の成績など何にもならない。にもかかわらず個人でリスクを負って、なんであんな辛い思いをしたのか。

大した結果を残せたわけではない。最高で全日本3位。
そう聞くと凄くも聞こえるが、毎年たくさんの流派の格闘技の大会が行われているわけで、全日本3位と言えど、大した戦績とはいえない。

でも挑戦したからこそ見えた景色がある。
あの時、自分の存在全てを掛けて必死に頑張ったのは嘘ではない。
そんな経験があったからだろうか、ノーサイドが心に沁みた。

コメント

タイトルとURLをコピーしました